10年間・・・
こんばんは、いくみです。
今日は、明石市民病院で千代延先生の最後の診察でした・・・たぶん二度と千代延先生の診察を受けることがない思います・・・異動になり明石市民病院には来れなくなりました・・・明石市民病院から京都府立病院へ帰る時に、当時の市民病院事務局長(現副市長)が、月に一度でいいから、明石市民病院に来てやってくださいって頼んでくれたので、異動になっても今まで診察してもらえてました・・・月一しか明石市民病院には来れないので、僕が体調が悪くなるとメールしたりしてました・・・でも、それもできなくなります・・・連絡はいつでもと取れるのですが、体調が悪くなっても先生に指示をもらうことができなくなります・・・FOPかも知れないって気が付いてくれた先生で、千代延先生がFOPかもと思ってくれたので九州の神薗先生のところまで行き、完全にFOPと診断されて・・・FOPって診断されたから、難病指定求めて、難病指定にしてもらったから、理化学研究所に行って西川先生にヒントもらい、iPS細胞研究の京大プロジェクトにFOPを入れてくださいと頼みに行けて、山中先生、戸口田先生に会えて、今、FOPは研究進めてくれてます・・・どの先生がかけても今がなかった思います・・・FOPって診断されて10年・・・10年目に千代延先生と別れますが、「FOPの研究が進んで薬ができた時は盛大なパーティーするから千代延先生も来て」ってボロ泣きしながら、お母さんが言ってました・・・連絡はいつでも出来ますが、会えるのがなくなるんで寂しくなります・・・最後の最後まで進行してしまった報告して・・・右足首が一か月で動きが悪くなり固まり、爪先で歩くようになったって言いました・・・
千代延先生「いっくん、医者やのに進行していくのわかってても、なんにも出来なくてごめんな」って、医者として悔しいと思ってくれてた10年やったんかな思います・・・
僕「もうすぐ、戸口田先生が結果出すので、頑張ります」って答えました・・・
千代延先生「頑張れよ、頑張れよ」って何回も言ってました・・・
その間、お母さんは泣いてばかり・・・
進行するのは、本当に最悪です・・・FOPの患者さんは、小さい患者さんは、本当に、もうすぐ研究成果が出てくるので、今、無理しないでください・・・
そして・・・
病院の帰りに衣川中学校に行ってきました・・・村崎教頭先生に会いに行ってきました・・・職員室にいるかわからないから、お母さんが職員室に見に行きました・・・職員室をノックしてドアを開けると村崎先生が直ぐに気が付いて「育海来たんか」って、ニコニコして車のとこまで慌てて来てくれたそうです・・・車のとこに来たら「下りてこい」って言われたので、事務室で3人でしゃべりました・・・卒業しても僕の事を他の先生方と話してくれてたみたいで、ずっと心配かけとうな思いました・・・中学卒業するときは、もう衣川中に異動になってて、魚住中卒業した時に挨拶に行ったので3年目振りに会いましたが、「いっくん、いっくん、育海、育海」って言ってくれて嬉しかったです・・・
村崎先生「よし、先生方集めて飯行こか」って言ってくれました・・・
僕「はい」って言いました・・・
帰りの車の中でお母さんが「育海は、良い先生に出会えてるな」って、またボロ泣き・・・
ちゃんと運転してよ思いながら、泣くのもわかる思いました・・・
さっそく松本県議に村崎教頭先生の伝言LINEしたら「了解!段取りする」って言ってくれました・・・
色んな先生方が心配し応援してくれるのは、嬉しいです・・・
そして・・・
支援者の水野さん、スリッパ&靴下ありがとうございました・・・足が固まってきたって知って、足に良いスリッパを送ってくれて、ありがとうございます・・・
そして・・・
ローザ隊Fのみなさん、いっつも応援ありがとうございます・・・
そして・・・
神戸新聞さん、12日の記事を書いてくれて、ありがとうございます・・・
毎日新聞さん、12日の記事を書いてくれて、ありがとうございます・・・
そして・・・
西村衆議院議員、お祝いメッセージありがとうございました・・・
いくみより
千代延先生、京都府立医大病院なら糸井さんのご主人と同じですね。
家の双子も京都府立病院の先生に、大変お世話になりました。
千代延先生今度は遠くへ行かれるのですね。
でも本当に先生がFOPって見つけてくれて、今の過程があるのですね。
感謝しきれない先生ですね。